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Y−1 湯島 麟祥院(春日局 墓所)


江戸幕府3代将軍家光の乳母である春日局の墓所があることで有名なお寺です。車の通行量の多い春日通りから少し入った路地の突き当りにあり、山門をくぐり境内に入ると、まるで別世界。思わず京都に来たのかと思うほど静かな境内と木々に覆われています。春日局の墓所は左手奥の墓地にあり、近くにはお地蔵さんが並んでいます。また、この地は現在白山にある東洋大学の創設の地でもあります。湯島本郷ファンにはおすすめのイラストです。

Y−2 湯島 切通坂(江知勝)


天神下からの切通坂をのぼりきったあたり、このあたりから春日通りと云うのだろうか。坂をのぼった左手には創業明治4年、 数々の著名人が愛したすき焼き・しゃぶしゃぶの名店「江知勝」。いまでも東大の卒業生をはじめとしたお客様が当時の佇まいの中で舌鼓を打っているようです。江知勝ファン・東大卒業生必携のイラストです。

Y−3 湯島 湯島天神参道


湯島中坂上の交差点から天神さまを描きました。右手には親子丼で有名な「鳥つね」。あれれっ、店の前にご主人がいるではないですか。ご主人の山本さんは何を隠そう私たちと同じ湯島小・四中出身であり、湯島本郷マーチング委員会のメンバーです。

Y−4 湯島 湯島天神正面鳥居


湯島のランドマーク湯島天満宮。創設は14世紀、菅原道真を祭ることで有名ですが、我々地元っ子には「遊び場」としての記憶が残っています。例大祭、梅まつり、菊まつり、なかでも一番の賑わいは新年の初詣です。正面鳥居は東京都の重要文化財。イラストの季節は晩秋で銀杏があざやかです。

Y−5 湯島 湯島天神境内


天神さまの境内です。正面は平成7年造営の社殿。左右に出店が見えますね。季節は秋、平日の長閑な日差しが境内を照らしています。

Y−6 湯島 湯島天神境内(宝物殿)


右手に宝物殿、この中には天神さまに伝わる貴重な美術品や浮世絵が展示されています。もちろん、宮神輿も展示されています。社殿のうしろには湯島ハイタウンが天神さまを見守るがごとく…。

Y−7 湯島 切通坂(ハイタウンをのぞむ)


右手に湯島天神の大鳥居があり、江戸時代はこの切通坂をのぼるために台車押しの人たちが天神下に待機していたとのこと。左手には旧岩崎邸の一部放出により昭和43年に建てられたマンション「湯島ハイタウン」がそびえています。当時はこのマンションから多くの転入生が湯島小の仲間になったと記憶しています。街並がよく描かれていて、おすすめです。

Y−8 湯島 湯島天神大鳥居


切通坂をのぼり左手には湯島天神の大鳥居(鉄鳥居)がそびえます。右手には老舗の寿司屋さん「寿司政」昭和12年創業だそうです。5月の神幸祭では、ここからお神輿とご鳳輦が氏子町内を渡御(とぎょ)し、その行列はとても素敵な絵巻のようです。

Y−9 湯島 湯島天神男坂


「坂(階段)が急だから男坂」と私たちは教えられていました。小学校の体育の時間、この男坂を「ウサギ跳び」で上ったことがありました。昔は男坂の上から上野不忍池が見渡せたそうです。

Y−10 湯島 湯島3丁目周辺(風情ある路地)


湯島3丁目(湯島天神町)の風情ある路地です。中坂から男坂下に通じる路地です。残念ながら右手の木造家屋、今はビルになってしまいました。こうして街を描いていると、どんどん変わる街に驚きを隠せません。

Y−11 湯島 湯島天神男坂と街並


昌平橋通りを背にした男坂の遠景です。右手奥には天台宗の湯島聖天という寺があります。男坂に突き当り手前に行けば道は広がっていきます。湯島らしいイラスト、おすすめです。

Y−12 湯島 湯島天神女坂


三十三段の石段坂で、すぐ脇にある急な坂・男坂に対して女坂といいます。

Y−13 湯島 湯島天神女坂


この女坂の季節は秋。下絵をペンで描いています。Y−14は鉛筆で下絵を描いています。タッチの違いをお楽しみください。

Y−14 湯島 湯島天神女坂


この女坂は鉛筆で描いています。とても柔らかなタッチが特徴です。どうやら作者「うえけん」は女坂にこだわりを持っているようです。坂ファンには必携のイラスト。

Y−15 湯島 天神下交差点


春日通りと昌平橋通りが交差する天神下交差点です。湯島ハイタウンと飲食店が見えます。天神さまのおひざ元、参拝やお祭りの後は湯島界隈でおいしいお食事とお酒をいかがですか。

Y−16 湯島 湯島天神夫婦坂


切通坂(春日通り)沿いの天神さま入口。夫婦坂とは夫婦仲良く手をつないで参拝にきてくださいとの由来? 左手には車専用のお祓い施設があります。

Y−17 湯島 湯島3丁目周辺(天神下より松坂屋)


天神下交差点から上野にかけては都内有数の繁華街。イラストは男坂を背に上野松坂屋へ抜ける街並(同朋町会)です。この辺りは台東区との区界が複雑で一軒目は湯島、二軒目は上野で飲む「はしご」が日常です。

Y−18 湯島 無縁坂


湯島4丁目にある「無縁坂」。森鴎外の小説『雁』で知られるようになった坂ですが、が私たちにはクレープが唄った「無縁坂」の印象が強いのです。無縁坂が始まるところは台東区との区界で左手には旧岩崎邸庭園と司法研修所、右手は瀟洒なマンションが続きます。そして右奥には東大病院の新病棟が見えます。おすすめのイラストです。

Y−19 湯島 清水坂下


蔵前橋通りと湯島天神に向かう参道の交差点です。お茶の水から湯島の深いところに入るには清水坂をのぼるのが一番。坂の一筋右に入ると「夢枕」で有名な妻恋神社があります。最近この辺りは丸の内や大手町に近いので賃貸マンションが増えてきました。

Y−20 湯島 清水坂下周辺


清水坂下のハンバーガー屋さんです。なぜか、この交差点界隈にラーメン店3軒、牛丼店、立ち食いそば店、居酒屋等お昼時の飲食店が集合しています。

Y−21 湯島 清水坂上


清水坂をのぼりきったところです。湯島天神まではもう少しです。

Y−22 湯島 妻恋神社


日本神話の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀る神社。大晦日から新年にかけては「夢枕」の札を求める参拝客で賑わいます。この神社の前の坂を妻恋坂といいます。

Y−23 湯島 実盛坂


 源平の合戦で、 木曽義仲と戦い討たれた平家方の武将 斎藤実盛の塚、首洗いの井戸などが、 この坂下の南側 にあったという伝説話から坂の名がついたとのことです。 この坂(階段)は勾配がきついです。階段の段差が小刻みで酔っ払っては通れません。本郷台との高低差を表す坂です。

Y−24 湯島 三組坂


徳川家康の死去にもとない、家康お付きの中間、小人、駕籠方「三組の者」に、当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えた。その後、元禄9年(1696年)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして町名を三組町と改めた。この町内の坂であるところから「三組坂」と名づけられました。三組町は作者「うえけん」の実家があります。

Y−25 湯島 千代田線湯島駅


昌平橋通り沿いの「湯島」駅、天神下とここの二か所に出入口があり、湯島への入口となっています。千代田線の開通が小学生の時でした。部分開通の湯島−新お茶の水間を何度も往復した記憶があります。

Y−26 湯島 東京医科歯科大学


昌平坂学問所跡地にある東京医科歯科大学。秋の紅葉時期の聖橋からの眺めは絶品です。現在は新研究棟の建築が進められており、来年には巨大な医療施設が竣工致します。おすすめのイラストです。

Y−27 湯島 蔵前橋通り


本郷通りと蔵前橋通りが交差し、蔵前に向けた緩やかな坂道が続きます。現在は左手奥にサッカーミュージアムがあるので交差点名になっています。ビル群の中央に湯島本郷マーチング委員会メンバーの利根川印刷があります。

Y−28 湯島 蔵前橋通り


蔵前橋通りを蔵前方向に眺めたイラストです。なだらかな坂ですが雪が降るとトラックが立ち往生することがあります。坂の途中から千代田区になります。

Y−29 湯島 湯島2丁目周辺路地


とてもニッチなイラストです。湯島2丁目横見坂手前の崖と路地です。この路地は傘谷坂につながっています。この湯島界隈はこのような崖が多く見られます。それだけ土地に起伏が多いといえます。

Y−30 湯島 御霊社前の坂


御霊社稲荷神社前の坂道です。このあたりは谷地になっていて起伏の多い場所です。運動不足の方には少々きついかもしれませんが、散策にはもってこいの場所としておすすめします。このあたりには我々の同級生があちらこちらに住んでいます。

Y−31 湯島 傘谷坂を見る


春日通りを背にして傘谷坂をのぞんだイラストです。傘谷は、金助町(旧町名)の北にあり、傘づくりの職人が多く住んでいた窪地。それで傘谷、 傘坂の名がついたといわれています。谷地との起伏があり、前方の医科歯科大との遠近感が不思議な感じです。街並を表したおすすめイラストです。

Y−32 湯島 湯島小学校正門


私たちの母校 文京区立湯島小学校の正門です。この新校舎は平成12年に完成し、今に至っています。もちろん私たちは旧校舎の時代。生徒たちの声が聞こえてきそうです。湯島小の卒業生には必携のイラストです。

Y−33 湯島 新花公園より湯島小を見る


湯島小の正門真向いにある公園です。新花公園は湯島小の卒業生ならば必ず遊んだのではないでしょうか。私たちの頃は毎日決まった時間におでん屋さんがやってきて、友達と買い食いしたものでした。

Y−34 湯島 湯島小学校(旧校舎)


明治4年12月2日開校の湯島小学校。創立136年、都内有数の歴史をもちます。この校舎は旧校舎で関東大震災後に建てられました。もちろん私たちはこの校舎で学び、現天皇陛下をお招きした100周年の記念行事も開催いたしました。「おしえのみちに♪名も高き〜♪」実はこのイラストが地元の人に一番人気があります。

Y−35 湯島 三組坂上


右手に三組坂、新年や例大祭のときはここから天神さまの参道になり車は通行止めとなります。作者の実家が信号機左手にあります。

Y−36 湯島 中坂


江戸時代の「「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼び名とすといふ」とあり。天神男坂と妻恋坂しかなかった江戸時代に新たにできた坂でしょうか。坂をあがりきると右手が湯島天神になります。例大祭の時はこの急な坂を連合神輿が力ふり絞ってのぼっていきます。

Y−37 湯島 天神下路地


天神下周辺、湯島3丁目の路地です。左手は戦前からの古い建物ですが、虫食いのように新しい建物と古い建物が混在しています。少しずつ古き良き時代の建物が取り壊されていくのが寂しい限りです。少しでも街並をイラストにして保存してまいります。天神下らしい風情 おすすめです。

Y−38 湯島 天神下周辺


天神下湯島3丁目にあるしゃれたレストランです。このお店の前には「湯島3丁目児童遊園」があり、緑に囲まれた空間です。

Y−39 湯島 天神下周辺(美食街)


美食街と名付けました。左手手前から寿司「木の下」、「シンスケ」。右手「インドカレー」、「谷中コーヒー」とおいしい店が集まっています。風情ありでおすすめのイラストです。

Y−40 湯島 湯島天神境内(菊祭り)


菊まつりの境内です。右手に梅園があり左手奥は参集殿があります。

Y−41 湯島 本郷通り


湯島1丁目周辺の本郷通りです。左手は東京医科歯科大学、右手には地元のみなさんの応接間「東京ガーデンパレス」があります。湯島1丁目は最もお茶の水に近く、また違った町並みが展開してますね。イラストの季節は晩秋です。

Y−42 湯島 本郷通りのレストラン


湯島1丁目本郷通りにあるレストラン、赤いテントが素敵です。この店はお茶の水「小川軒」ハヤシライスとレーズンウィッチがおすすめ。売り切れご注意です。

Y−43 湯島 湯島中坂上


湯島天神表参道です。右手に「鳥つね」、にしんそばが有名な京都の老舗「やぐ羅」が続きます。このイラストは「鳥つね」さん所有のものです。鳥つねファンの方におすすめです。

Y−44 湯島 湯島天神本殿


湯島天満宮の社殿を描きました。威厳と親しみを醸し出しています。この社殿は平成7年(1995年)に建て替えられ、都内で最後の総檜建築の社殿となりました。

H−1 本郷 旅館 鳳明館前


菊坂下からとても急な胸突坂をのぼると本郷台町(本郷5丁目)に入り、旅館街になります 多い時は30軒の旅館があったそうです。この鳳明館は日本の風情あふれる老舗旅館として外国人からも人気が高いそうです。この近所には「つたや」「金水館」「ふたき旅館」などがあります。

H−2 本郷 本郷通り 東大前


本郷通り左手に東大、右手に書店や出版社が立ち並んでいます。大学と本は切っても切れない仲、今でも「明日は博士か大臣かを夢見て」学生たちは大学と書店を行き来しているのでしょうか?

H−3 本郷 本郷郵便局周辺


本郷郵便局です。本郷のランドマークとして大きな存在です。東大の合格通知はここから発送されているのでしょうか。

H−4 本郷 東大煉瓦柵


本郷通り沿いに続く東大の煉瓦柵です。イラストを描いた時は夏でしたので、木陰と煉瓦柵のバランスが素敵でした。

H−5 本郷 三河稲荷神社


徳川家康が三河の国にて戦勝祈願をして神徳ある神社。天正18年(1590年)家康江戸入国に際して吹上に構えましたが本郷元町に鎮座、後に昌清寺と分離し現在地本郷1丁目と2丁目の氏神さまとして親しまれています。例大祭は5月下旬です。

H−6 本郷 本郷3丁目交差点(かねやす見おくり坂)


「かねやすまでは江戸の内」と有名。な伝えがあります。春日通りと本郷通りが交差する本郷の要所です。江戸時代に度々大火事があり「かねやす」までが江戸の防火地区となり冒頭の伝えが残りました。交差点を東大方向に向かうと少し坂になっており江戸を出る人(中山道)を見送ったそうです。本郷らしいイラストです。

H−7 本郷 本郷3丁目交差点(見返り坂)


「かねやす」前から東大方向を描きました。広い歩道からは見返り坂、中山道を行く人々が見送りの人々を振り返ったと言われ見送り坂とも言われます。

H−8 本郷 本郷三丁目駅(大江戸線)


本郷3丁目春日通り沿いにある2000年12月12日に全線開通した都営大江戸線本郷三丁目駅。湯島本郷台が高台のため、大変地下が深い駅です。いまでは本郷湯島地区では欠かすことのできない地下鉄です。

H−9 本郷 本郷消防署前


このイラストは本富士警察署前から見たものです。青いビルは「さかえ」ビル大正時代のアールデコ風の建物です。昭和9年に建築され現在は国の登録有形文化財に登録されています。1階にコンビニが入っていますが建築学上貴重な建物だそうです。その先にも有形文化財に登録されている日本基督教団本郷中央教会(本郷中央堂)があります。

H−10 本郷 コシジ堂(春日通り)


私たちが小学生のころ立ち寄ったコシジ堂です。パン屋さんでいろいろな菓子パンがありました。数年前から廃業し、現在はシャッターが閉まったままです。復活はあるのでしょうか?

H−11 本郷 消防署前通り


正面に本郷消防署と東大本部が見えます。地元ではこの通りをフアイヤーストリート(消防署通り)と呼んでます。右手ビクターのビルは本郷座跡地です。この通りは医療機器のメッカで、左右すべて医科機器メーカーや販売会社が軒を並べています。

H−12 本郷 大楠木


本郷1・2丁目(弓町1・2丁目)の道の左手にそびえる大楠。幹回り8.5メートルの文京区一の大木です。夏は木陰を作り、春は青々と力強い生命力を感じるご神木です。この先に弓町本郷教会があります。本郷のたたずまいを表しているイラストですね。

H−13 本郷 櫻木神社


文明年間(1469−1487)太田道灌江戸築城の折、菅原道真の神霊を京都北野の祠より同城内に創建され、湯島を経て本郷に 鎮座したそうです。例大祭は9月第4土・日曜日。境内には東大に最も近い菅原道真候を祭ってあるため、センター試験前後のサ・ク・ラ・サ・ク櫻木神社は人気スポットになっています。

H−14 本郷 春木町公園


本郷春木町(本郷3丁目)にある公園です。ビルの空間にできたような公園で高い木々があり、木陰が癒しを与えてくれます。子供のころ、この公園で遊ばれたかたも多いのではありませんか?

H−15 本郷 日本サッカーミュージアム


傘谷坂(旧金花通り)にあるJFAビルの1階にあります。2002年の日韓ワールドカップを記念し創設されました。このビルには日本サッカー協会があり、Jリーグ等サッカー関係の拠点となっています。因みに、この通りは「サッカー通り」と命名されました。

H−16 本郷 湯島総合センター(湯島幼稚園)


幼稚園、図書館、高齢者センター、貸し会議室、福祉サービスと文京区の様々な施設が集合しています。湯島幼稚園にはサッカー選手が訪れ、子供たちのサッカーへの夢を支援しています。

H−17 本郷 外堀通りビル群


右手から東京医科歯科大、順天堂、加賀電子と大きな建物がお茶の水坂(外堀通り)にそびえます。JR中央・総武線の線路と緑が調和したイラストです。

H−18 本郷 清和公園


お恥ずかしいのですが、この公園は取材するまで知りませんでした。本郷4丁目中真砂町会にある「清和公園」。本郷台地と白山通りの斜面にある公園でたくさんの桜が咲くことで有名です。とても日当たりがよく、地元のかたの憩いの公園になっているようです。この時は作者と二人で取材に行きました。

H−19 本郷 真砂坂(東富坂)


本郷台地を春日に向けて真砂坂の別名を「東富坂」といいます。春日から小石川に向かう坂を「西富坂」といい、東側なのでついた名前だそうです。

H−20 本郷 文京区民センター


春日通りと白山通りが交差する春日の交差点です。左が春日で右が本郷。区民センターは本郷4丁目にあり区設真砂市場や区営住宅、貸し会議室など区民に欠かせない施設となっています。交通量がとても多く車の切れ目を見つけるのに苦労しました。

H−21 本郷 旧東富坂(東京メトロ丸の内線)


地下鉄が地上を走っています。これも本郷台地の起伏の大きさを表しています。旧東富坂は本来の富坂。昔、鳶職の人が住んでいたことから名付けられました。区役所のあるところを二谷といい、本郷台と小石川の高台に挟まれている場所です。イラストはラクーアの講道館寄りの階段から見た構図です。

H−22 本郷 壱岐坂下


白山通りと壱岐坂の交差する交差点。このイラストはラクーアとドームの連絡橋から眺めたものです。ドームから本郷側を描いてみました。巨人戦やドームでコンサートがある時はおおぜいの人が交差点を渡ります。

H−23 本郷 本郷元町周辺


旧本郷元町、昭和40年に町名改正されてからこのあたりは本郷1丁目になりました。左手は旧元町小学校跡です。お茶の水坂を背にして見ています。

H−24 本郷 本郷1丁目路地


本郷1丁目12番地付近です。近くには壱岐坂交番があります。坂の途中に位置し、路地を上から見てそびえ立つ東京ドームホテルがのぞめます。このあたりは印刷会社が多いのは神保町が近いからでしょう。

H−25 本郷 元町公園周辺(建部坂)


元町小学校を後ろ手にして、お茶の水坂に向かった構図です。右手には文京区立元町公園、なだらかな坂は江戸時代建部六右衛門という旗本の屋敷があり建部坂といわれています。元町らしさのおすすめイラストです。

H−26 本郷 旧元町小学校


平成13年12月までは本郷小学校の仮校舎として使用していました。元町小学校の創立は明治44年であるが、この校舎が竣工したのは1927年(昭和2年)。震災の経験から不燃性と耐震性に優れた鉄筋コンクリ−トで造られた。現在は真砂小学校と統合し、元町小学校は本郷小学校となりこの校舎は使われていません。元町小の卒業生にとっては旧校舎がいつまでも存続することを祈るばかりです。

H−27 本郷 元町公園


関東大震災の復興公園の一つとして設置された公園です。日本の歴史公園100選にも選ばれました。中世ヨーロッパのイタリアルネッサンス式庭園の流れを汲んでいます。我々はこの公園の素晴らしさを誇りとしております。

H−28 本郷 忠弥坂


坂の名は、 この坂の上あたりに丸橋忠弥の槍道場があり、忠弥が慶安事件で捕えられた場所にも近いということで付けら?れました。桜蔭学園の生徒はこの坂を「心臓破りの坂」と呼びます。最寄の水道橋駅から学園までとても急な坂です。授業開始のチャイムが鳴ると遅刻常習犯の生徒は心臓が破れんばかりの猛ダッシュで学園に飛び込んでいきます。日常が伝わってくる好きなイラストです。

H−29 本郷 桜蔭学園本館入口


大正13年3月に創設された桜蔭学園本館の入口です。素敵なファサードですね。テラコッタの装飾を記したアーチ、コリント式の柱頭飾りがある玄関が特徴的な、スパニッシュ様式の建物です。この本郷には戦前の欧州文化の香りがいたるところに残っています。

H−30 本郷 桜蔭学園


桜蔭学園の新校舎西館の入り口です。平成15年に完成しました。校舎を取材していたら警備員さんに不審者と見られてしまい校舎の取材とのことで写真を撮らせていただきました。

H−31 本郷 宝生流能楽堂


十六世宗家宝生九郎知栄の片腕とよばれた松本金太郎が、神田猿楽町にささやかな稽古舞台をつくったのが現在の能楽堂の原点。現在の宝生能楽堂は、戦災で焼失ののち、四半世紀にわたる全国流友の多大なる寄付と宗家の献身的な協力によって昭和53年に建設されたものです。

H−32 本郷 本郷4丁目周辺


文京ふるさと歴史館の隣にある和風住宅諸井邸は明治39年に建てられ、その主は日本煉瓦製造専務の諸井恒平。風格のある日本家屋です。手前に炭団坂があり行き止まりなので、車が少なく静かな空間となっています。

H−33 本郷 炭団坂


本郷台地から菊坂の谷にくだる坂です。この坂の周辺で炭団を商売するものが多く、この名前がついたらしい。坂をあがりきると右手は坪内逍遥の住んでいた地です。

H−34 本郷 樋口一葉旧居跡(鎧坂上)


本郷台地と菊坂の谷にくだる鎧坂の上にある樋口一葉旧居跡の門です。先日、この坂をくだっていたらフランス人の若いカップルが本郷を探索していました。なんだかとても嬉しくなりました。

H−35 本郷 菊坂周辺(まちのえき)


炭団坂をくだり、道なりに進むと「まちのえき」が見えてきました。ここは菊坂の下通り、樋口一葉の旧居跡近くです。時間が止まっているような空間です。右手の建物が「まちえき」捨て猫の保護を進めるNPOの人達が活動しています。

H−36 本郷 菊坂周辺


菊坂上通りと下通りを結ぶ階段の古い民家です。もちろん今でも住んでいます。この近くには大正10年に宮沢賢治が東京に上京した際に住んでいた旧居跡があります。今は建物はなく、当時の面影を伝えるものはこの菊坂周辺の雰囲気だけでしょうか。

H−37 本郷 樋口一葉旧居跡


樋口一葉ファンならばこのイラストに感嘆を覚えるかもしれません。明治23年9月には本郷菊坂町の貸家に移り母と妹と三人で針仕事や洗い張りをするなど一葉が最も苦しい生活をしていたころの場所であります。一葉ファンのみならず多くの街歩きファンが訪れます。手前の茂みの後ろには古井戸があり、今でも文京区の防火用水に指定されています。

H−38 本郷 本郷菊坂周辺(旧伊勢屋質店)


菊坂も終わりになる手前にある風景。伊勢屋質店は樋口一葉ゆかりの質店。 なんだか一葉が質店に通う姿が想像できそうですね。

H−39 本郷 一葉旧居跡路地


菊坂の下通り、「まちのえき」を少しだけすぎると路地があります。わかりにくいのでゆっくり歩いてください。左手の路地を入るとそこは、「ほーっ」と思わず声を出してしまうでしょう。とてもノスタルジックな瞬間です。奥には一葉の旧居跡が・・・。

H−40 本郷 一葉旧居跡路地


H−39のイラストは縦位置でしたが、路地の奥行感をだすには横位置も描いてみました。左右手前のブロック塀と路地の奥行が横位置にしたことにより雰囲気をだし、さらに自転車が生活感あるイラストに仕上げています。

H−41 本郷 壱岐坂・新壱岐坂


右手東洋学園大学、左側が「壱岐(殿)坂」といいます。壱岐坂の水道橋寄りに 小笠原壱岐守の下屋敷があったのでこの名がついたといわれ、江戸時代からあった 古い坂です。一方、右側が大正12年(1923)の関東大震災の復興計画によって、 新しくひらかれた昭和の坂「新壱岐坂」です。東洋学園大学は創設80周年の女子教育の名門であるが、現在は男女共学の4年生大学として3・4年生校舎となっています。壁画は文京区景観創造賞を受賞しています。

H−42 本郷 医療機器の街


湯島本郷の産業は?と聞かれると医療関係との答えが聞かれます。明治10年(1877年)に東京開成学校と東京医学校が統合されて生まれた東京大学のおひざ元です。全国の医療出荷高の7割を受け持ち、本郷医科機器村と呼ばれています。医学の進歩にはお医者さまと医科機器の進歩が大切なようです。

H−43 本郷 弓町本郷教会


1886年創立のプロテスタント教会。創設初期は本郷の町会施設で布教活動をしていたそうです。幼稚園も併設 、私の兄はここの卒園生。毎週日曜日には礼拝で賑わいます。

H−44 本郷 本富士警察前(春日通り)


春日通り、本富士警察署前です。湯島本郷百景と湯島本郷マーチング委員会の活動範囲の中心点になります。また警察署は地域にとって防犯、交通、よろず相談の要。実はこの場所には旧本郷区役所があり、湯島・本郷地区は本郷区だったのです。戦後の小石川区と本郷区の統合でその役割は終わりました。

T−1 本郷 東大 農正門


東大弥生キャンパスにある農学部正門は昭和10年(1935年)に作られました。現在の門扉は同じく檜材を使って10数年前に造り替えられたが鉄製の装飾窓は再利用されています。イラストは日曜日に描いたもので門が閉じられているが、東大の門の中でも農正門は開いている時間が長い門の一つです。閉門時間は平日が深夜12時と記憶しています。

T−2 本郷 東大 西方門


本郷通りと言問通りが交差する西方交差点近くの本郷通りに最近開設された門。人と自転車専用です。近くに南北線の東大前駅が開設され、正門からの距離が遠く、工学部の利便性向上のために開設したとのこと。現在の総長が推進する開かれた東大を象徴する門です。

T−3 本郷 東大 正門


東大本郷キャンパスの正門です。門を入ると銀杏並木、正面に安田講堂があります。この眺めが素晴らしい。東大合格発表の時などは大勢の父兄学生で賑わいます。正門には菊のご紋のような朝日があり、天皇陛下が東大を訪問される際の門となっています。戦時中、門扉を外し隠していたので金属回収を免れ昔の姿を維持しています。堂々とした門構えが印象的ですね。

T−4 本郷 東大 赤門


赤門は現在国の重要文化財、加賀前田家の御守殿門は、文政10年(1827)11代将軍家斉の溶姫(やすひめ)が13代藩主前田斉泰に嫁入りしたときに建てられました。赤門は、火災などで焼失してしまったら再建してはいけない慣習があり、この赤門は災害などを免れて現存している貴重なものです。今の赤門は昭和36年に大改修を経て、鮮やかな朱塗りの門として本郷に存在しています。これは鮮やかに赤門を描いており、本郷で一番人気のイラストです。

T−5 本郷 東大 春日門


以前、この場所には門ではなく鉄扉がありました。小学生のころ東大構内に遊びに行く時にくぐった場所です。ある日、気が付くとなんと「春日門」になっていました。春日通りに面しているのが由来だそうです。門を入ると正面奥には山羊がいます。

T−6 本郷 東大 龍岡門


東大で一番通行量の多い門です。都バスに自家用車、救急車にトラックと東大に来るありとあらゆる車両が通行します。名前は龍岡町に由来します。かつては門扉が付いていたが、門柱間を広げる工事を行う際に撤去され、現在は門柱のみとなっています。実はこの門扉は人知れず捨てられてしまったとのこと。

T−7 本郷 東大 安田講堂(春)


東京大学のシンボルと言えばこの安田講堂です。大正14年(1925年)に安田財閥、安田善次郎の寄進を受けて建設されました。着工は大正10年でしたが関東大震災の中断を経て完成。安保闘争では学生運動のシンボルとなり有名です。現在は学生の卒業式、公開シンポジウムの会場などに使用されています。イラストは名物、しだれ桜の頃に描きました。

T−8 本郷 東大 懐徳門


懐徳門は現在の東大迎賓館である元侯爵、前田利為の屋敷の近くに創設された最も新しい門で人と自転車専用です。名前の由来は門の近くにある懐徳館です。1927年に前田家との敷地交換の記念に残されたものです。最寄駅は大江戸線の本郷三丁目。

T−9 本郷 東大 鉄門


龍岡門より東の医学部附属病院中央診療棟南側に、1879年から1918年まで存在していた門。正門ができるまでは東大本郷キャンパスの正門とされていました。現在の鉄門は2006年に医学部事務棟があった関係で作られました。「鉄門」は医学部の卒業生の代名詞ともなっています。東大医学部卒業生必携のイラストです。

T−10 本郷 東大 弥生門


千代田線の根津駅を利用する人に便利な門です。本郷キャンパスから浅野キャンパスへ行くときの最短ルートでもあり、工学部の学生や浅野地区にある情報基盤センターを使う人に利用者が多いようです。門を出てすぐのところには立原道造美術館や弥生美術館があります。この門は農正門に似ており重厚な檜材と鉄製の装飾窓が素敵です。

T−11 本郷 東大 池之端門


まさしく、東大と上野へのショートカット通路。東大の最東端にあります。現在は医学部への道路工事中で一方通行の看板がうるさく出ています。はやく看板が無くならないかと思うこの頃、看板が無くなったらまた描きます。

T−12 本郷 東大 浅野南門


東大浅野地区にある門です。浅野門の南に位置し、情報基盤センターの入口となっています。えっ、これ門ではなく通用門でしょ?いえいえ、きちんとした東京大学の門です。「東京大学」と看板がある門は珍しくなかなかお目にかかれません。

T−13 本郷 東大 浅野門


「弥生式土器発掘ゆかりの地」である東大 浅野地区。浅野門は武田先端知センターがあり工学系の研究拠点となっています。浅野地区は弥生門から住宅地を挟んでいるため、他の場所とは変わった雰囲気があります。